ギョウザとわたし 南條竹則

価格 750 円

 稀代の翻訳者にして名エッセイスト南條竹則の書き下ろしエッセイ。
 
 本書は第一にギョウザに関するエッセイあるいは文化史である。しかし同時に東京の回想記であり、さらに南條竹則版放浪記といった趣もそなえている。いわば 〈 餃子放浪記 〉 なのである。
 昭和の東京、少年時代、原宿、食、文化、交友――祖母と二人暮らしの少年竹則はある日、不意に単独で夕食をとることを思い立ち、決然と中華料理店に向かう。そして長じては英国の詩文や怪奇幻想文学の薫風を受け、ギョウザを愛で、酒を愛し、中華料理の深奥へ莞爾として踏みいる。
 チャールズ・ラム、アーサー・マッケンの最高の翻訳者南條竹則の滋味きくすべきエッセイをぜひ枕頭に。

 四百詰原稿用紙換算約二百十枚。表紙画像は、はくたま結真。

 
   


 中学の二年生か三年生の時だった。
 その頃、わたしは祖母と二人暮らしだったが、祖母は病身のため家政婦を頼んでいた。その日はたまたま家政婦さんが休みをとっていたか何かで、夕食をつくる人がいなかった。
 祖母はあり合わせの物ですませるという。わたしは店屋物をとるのに飽きあきしていたので、「外へ食べに行って来る」と言った。それまで、昼餉はべつだが、晩に一人で外食したことなどはなかった。わたしはまだ子供で、食事は大人と一緒にするものだった。
 一体その時、いかなる独立心が芽生えたのだろう。それとも、何か気がふさいで、わがままを言ったのだろうか。祖母は寂しげに「そんなら、行ってらっしゃい」と言って、お金をくれた。
 家を出ると、少し嬉しかった。東郷神社の裏から竹下通りへ行く道を歩きながら、どこでどういう御馳走を食べようかと考えた。
 さすがに鮨屋へ行く勇気はなかったが、蕎麦屋で丼物というのもつまらない。料理をちゃんと食べたい。かといって、表参道の方へ出て、大きな店へ一人で入ることなどは思いも寄らず、結局、入ったのは「天宝」だった。
 ラーメンの出前はよく取るけれども、店に入るのは初めてだ。意を決して暖簾をくぐると、客入りはちゅうくらい中位 だった。
 わたしは長いカウンターの真ん中辺に坐った。


「たった一人の夕食」より



 ある年、暮から正月にかけて友達と南京へ遊びに行った帰り、青島で成田行きの飛行機に乗り換えるはずだったが、青島空港に着くと、濃霧のため欠航と告げられた。
 旅行会社に空港から電話をして相談したが、その日はもうどうやっても日本に帰ることができない。翌日の飛行機とその晩のホテルを予約してもらった。同行したM君夫妻は予定の調整に大変だったようだが、わたしは翌日もヒマだったし、ホテル代は旅行者がサービスしてくれるというので、むしろホクホクして飛行場を出た。
 タクシーに乗って町へ向かうと、なるほど、高速道路の前方に白いカーテンのような霧がかかっている。当時は今ほど大気汚染が騒がれていなかったけれども、やはり公害はひどかったのだろう。 「なるほどネエ」
 とわたしは車の窓の外を見ながら、つぶやいた。
「霧のロンドンとおんなじだな」
 子供の頃、外国映画やテレビ番組で印象づけられたロンドンの街は、三尺先も見えわかぬ ような濃い霧につつまれていた。シャーロック・ホームズだの怪人ハイド氏だのは、そんな夜霧の中で活躍したのである。
 ところが、大人になってからロンドンへ行ってみると、そんな霧など出ていやしない。
 もう時代が変わったのだ。
 コナン・ドイルの時代の英都の深い霧は、自然物ではなく、産業革命による公害の産物だった。今はこの青島が似たような状況にあるのだろうと思い、それにしても随分な濃霧だ、よく運転できるものだと感心しているうちに、車はホテルへ到着した。
 一服すると、もう夕方だ。
 わたしたちは青島料理をいざ味わわんと、おもてに出た。


「霧の青島ーー餃子の餡について」より


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